いくらゲームばかりしているからといって小学一年生の死生観があんなめちゃくちゃな事はないでしょーと思うのですが。文伽くらいの歳の子どもに命が蘇るゲーム与えるだけ与えて、親がフォローをしないのは良くない。
私が文伽くらいの頃、クラスメイトの葬式に出席したことがあります。確かに現実味はありませんでしたが、死は一応理解できてました。
良くない噂話が聞こえる所に子どもを置いておく親もおばさん連中も配慮がないよなー。てかあの手の世間話で盛り上がって「自分は普通の人間だから安心」などという意思確認を計らう人間は下等だと思います。
(3/13追記:これ書いた晩布団の中で「下等」は言いすぎだなと思いました。見下しているようで反省です。)
本作の時代設定がリアル世界と同じなら32歳の日比谷毅彦は就職超氷河期世代です。
職種に選択の余地などなく、やりたくもない仕事に就いたあげく鬱を抱えて退職という事例は結構多いです。毅彦の場合は不治の病が追い討ちをかけてるんだから奈落の底に落ちた気分でしょう。そんな時にオカンはご近所のホモ話で盛り上がりおって・・・。集団就職世代らしき井戸端会議おばさんにはわからんだろうなぁ。
無職を安易に批難する声、これは当事者を傷つけることもあるから先入観だけでしゃべるのはダメですね。
最後のシーン、毅彦伯父(叔父)さんの死を何度も確認しながら文伽はゲームのリセットボタンを繰りかえしピコピコ。死を初めて受け入れた時にパワースイッチをオフ、という一連の流れはいかにも今回の隠れ見せ場っぽいけどあざとさがなくて良いと思います。
3/13追記:これまた布団の中で、文伽は文歌の異父姉妹かとも思いました。文伽が5〜6歳ということは文歌が植物状態になってから1〜2年後に誕生しています。あえて同じ名前を母親が付けたことに何の意図が?・・・とウトウト考えてました。
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