2006年03月25日

蟲師 #20筆の海(終)

毎回舌を巻いて観ていた本作ですが、今回の文字列の動きは圧巻でした。
淡幽の文字の移し変えは、たまとの共同作業。我が身を淡幽に捧げる想いで仕えているたまの存在が偉大。

釣り糸を引くように文字列を壁から引き剥がす淡幽の作業はちょっと麺職人みたい。
箸で文字列を壁から剥がしたときの効果音がピコンって・・・。

原作は読んでませんが、『ダ・ヴィンチ』の『蟲師』特集で「筆の海」の大まかな話は知ってたので是非観たいと思ってたのですが、なかなかやらないので諦めてました。
実際観てみると延ばし延ばしになっていたのも納得の内容でした。
約束されてない将来をギンコがほんの少し空想するシーンなんか最終回に相応しい。


posted by 桃鳥 at 01:35 | Comment(0) | TrackBack(0) | 蟲師【終】

2006年03月18日

蟲師 #19天辺の糸

天から垂れた糸を引っ張った吹はヒトから離れて曖昧なモノになっているとギンコは言ってましたが、ヒトと蟲の間にいるということでしょうか。それともヒトと何か別のモノの間にいる?

「私を助けてくれたの?」
ギンコ「したいようにしてるだけ」

第5話「旅をする沼」でヒトから蟲化しようとした少女をギンコはひどく否定してたのを思い出しました。
ヒトから蟲になることは人間としての生を捨てること、というのがギンコの考えだったと思うのですが。もしそうだと「したいように〜」のセリフは建前であって、本当は見過ごせない事項だった?

でも、深入りしないスタンスもギンコにはあったような・・・。
ちょっと呑み込めませんでした。

犬みたいにロープで脚巻かれりゃ、とてもじゃないけど人間扱いされた気分にはならないでしょう。繋ぎ止めるのはロープじゃなくて気持ちだということを清志朗は察したようで、良くも悪くも無難な結末。

星は昼間、消えるのではなく見えないだけ。
蟲の気を帯びた吹もまた然り。
吹の比喩として不動の星を持ってきたのはわかりやすくて良いです。
posted by 桃鳥 at 00:37 | Comment(0) | TrackBack(1) | 蟲師【終】

2006年03月11日

蟲師 #18山抱く衣

絵師の塊、絵に没頭するあまりに生まれ故郷を救えるチャンスを逃してしまったものの、救われる話でした。一度は塊を突き放した里の者も、知恵遅れの姪を引き取って健気に生活していく彼の姿を見て生活の知恵を与えてたのがほんのり暖かかった。

少年時代から青年へと塊の顔の造形が何の違和感もなく受け入れられたけど、骨格の微妙な調整がなされてるから何の違和感も感じなかったんだろうな。成長過程の作画はすごく神経使ってそう。

不思議な羽織をギンコに売りつけてた商人は具志堅用高だったという悲しい事実・・・。
そんな具志堅用高から件の羽織をほぼ強引に半値で購入したあげく、バッタもんを化野先生に売りつけてたギンコは生きてく術を熟知してると思った(笑)。
posted by 桃鳥 at 01:14 | Comment(0) | TrackBack(2) | 蟲師【終】

2006年03月04日

蟲師 #17虚繭取り

ギンコとの連絡手段が判明。
二つの虚繭が媒体ですか。

繭が連絡媒体の素材となっているから糸電話を彷彿させるけど、時空を超えて紙面が届くという面ではFAXを思い出すな。
posted by 桃鳥 at 22:59 | Comment(0) | TrackBack(0) | 蟲師【終】

2006年02月24日

蟲師 #16曙の蛇

むむむ!
これは面白かった。健忘症ですか。

記憶を喰う蟲「影魂」に寄生されたさよに悲壮感がなく愛くるしいです。

喰われる記憶は無作為に選ばれており、身の回りで常に関わってる物や者は喰われにくいらしい。記憶の例えを「昔の引き出し」で表現してるところなんか蟲師らしいです。

浮気した夫に関する記憶も消えたはずなのに、いつもの癖で用意してしまった陰膳。これはさやの未練じゃなくて、習慣が身についてしまっただけですね。記憶が消えた以上、未練なんてものは残らないだろうし、習慣は身体が覚えてることだし。
posted by 桃鳥 at 22:41 | Comment(0) | TrackBack(4) | 蟲師【終】

2006年02月18日

蟲師 #15春と嘯く

蟲の性質が云々より登場人物の動きのほうが面白い。

ミハルの隣でちゃっかり冬眠するギンコとか。若い姉弟が旅人を安易に泊めてしまうのは何だか昔話みたいだな。

ミハルは「春を見る」から付けられた名前なんでしょうか。
蟲に精通してしまうと、ミハルも一所にいられない体質になってしまうんじゃ・・・?

春の作画は華麗でしたけど、正直あまり印象に残らない話でした。
posted by 桃鳥 at 23:46 | Comment(2) | TrackBack(3) | 蟲師【終】

2006年02月09日

蟲師 #14籠のなか

相変わらず閉鎖的な話が多いな。

キスケの妹はかつてセツと一緒に遊んだ仲なのに、今やキスケの娘を「それ」呼ばわり。
キスケが竹林にいた年月が長かったことが窺い知れます。

里の人間がセツを白眼視してるのは、世の中異質な人間や少数派は排除する傾向にあるのと同じ感覚ですかね。

筍は産道からでも地面からでもOKなん?
posted by 桃鳥 at 23:20 | Comment(0) | TrackBack(3) | 蟲師【終】

2006年02月03日

蟲師 #13一夜橋

かずら橋を通らないと里を出られないという閉塞感は第6話『露を吸う群れ』の海に囲まれた孤島と何ら変わりないですね。

ギンコとハナの母親の会話は植物状態の人間を生かすか安楽死を選ぶか、みたいな含みがあったな。

かずら橋の中でもここのモデルは祖谷のかずら橋
景色が似てるから。

祖谷のかずら橋、行ったことあります。死ぬほど怖かった。渡りきったのか途中で引き返したのか覚えてないほど怖かった・・・。
posted by 桃鳥 at 23:18 | Comment(0) | TrackBack(1) | 蟲師【終】

2006年01月27日

蟲師 #12眇の魚

ギンコの少年時代で蟲師になるきっかけともいえる貴重で重厚な話だったけど、それよりギンコの元の名前が「ヨキ」というのがどえらいショックで話の本筋がふっ飛んだと、いうのが感想です。

ギンコの煙草を吸う仕草、しゃべり方、表情や態度やらはぬいの鏡映しだったんですねー。周りに見習う年輩者がいなかったからなのか、ぬいが尊敬する師匠だからなのかどっちでしょう。

公式サイトのあらすじ読んでたら「沼のほとりに住む隻眼の少女と偶然に出会った少年」とあったけど、ぬいは少女といえる年齢?

このヨキというのが第11話『やまねむる』のコダマ少年と同じ顔・・・。アバン見て続編かと思ってしまいました。
『蟲師』は少年の顔がみんな似すぎ。
ひょっとしてあれですか?
漆原先生、顔の描き分けが苦手ですか?
あだち充症候群ですか?
posted by 桃鳥 at 23:41 | Comment(0) | TrackBack(1) | 蟲師【終】

2006年01月20日

蟲師 #11やまねむる

サブタイトルを漢字にすると「山眠る」なんですね。

第9話『重い実』で瑞歯で五穀豊穣をもたらした村にギンコが訪れた時、祭主に里を出るよう提案したけれど、祭主は生まれ育った里をそう易々と離れられないと返答した場面がありました。これはギンコが根無し草人間で里に住み着いたことがないから、このようなことが言えたのでしょう。第9話『重い実』では一所で一生を過ごす者とそうでない者の対比がありましたが、今回のムジカはギンコと同じ蟲師で元放浪人という同条件。

放浪が性に合ってるというギンコと、村に居つきたかったムジカ。
ムジカの考えのほうが人らしいといえば人らしいのだけれど、ギンコが一所に居座らないのはムジカのように人恋しくならないように一線を張ってるのかも、と思ったり。

ギンコ、寝タバコよくない。
クチナワの鳴き声グォーンは、年明けの放送にタイムリーだったと思います。
posted by 桃鳥 at 21:07 | Comment(0) | TrackBack(2) | 蟲師【終】

2006年01月13日

蟲師 #10硯に棲む白

昔、山の上にあるコンビニでポテチを買って未開封のまま降りたらポテチの袋がパンパンに張ってて感動したっけな。てことは平野部で製造されたポテチを標高の高い所へ持っていくと袋はしぼむわけで、今回の雲食みが体外から排出していった気圧の原理と同じですね。

化野先生、ギンコ先生に頭上がらず。しかし懲りず。そこにモテモテの秘訣があるのか。

化野先生は根無し草のギンコにどうやって連絡とったんだろ。
ギンコが村に到着するの早いような・・・。

空から降ってきた霰をカキ氷にして食べるシーンは昔ならではの情緒があって良いですね。現代なら汚くて食べられませんって。

『ダ・ヴィンチ』2月号に『蟲師』のプチ特集あり。
posted by 桃鳥 at 20:30 | Comment(0) | TrackBack(1) | 蟲師【終】

2005年12月23日

蟲師 #09重い実

祭主が自らを犠牲にして村を飢餓から救おうとするが、それに気付いたギンコは蟲師の禁じ手を使って祭主の命を助ける話。

人体錬成だった(笑)。禁忌を犯して人を甦らせたよ。

第5話「旅をする沼」で沼に命を助けられて蟲側に行こうと、即ちヒトとしての死を決心した少女いおの話を思い出しました。
いおも今話の祭主も真意は生きたいと気持ちがあり、ギンコがそれを察知したから助けたんですよね。

では本当に死にたい人間に対してギンコはどう出るのだろう。
posted by 桃鳥 at 23:45 | Comment(0) | TrackBack(2) | 蟲師【終】

2005年12月16日

蟲師 #08海境から

蟲とヒトとの時間の概念という意味で第6話「露を吸う群れ」の類似物かと思いきや、似て非なるものでした。

問屋の娘で都会的イメージのある色白のみちひと、日に焼けていかにも田舎臭さの残るナミの対比が物語を絶妙に味付けしてました。
コミュニケーションが不器用なみちひと、感情をさらけ出せるナミ。
性格は違ってても、両者とも海を思わす名前。
直接本編に関わりなくてもこういう凝った設定は作品を大事にしてることが感じられます。

シロウがギンコの物見行に同行したのはみちひの死を確認するつもりだったから。
しかし実際はみちひ(中身は蟲)と再会し、シロウはもやの中で陸の方向を見失っていた。

ギンコ「蟲が変態し始めている。ここに居ちゃまずい。はやくそれから離れろ。」
ギンコのバックにかかっているもやが二度程薄れて陸が映し出されたのにはびっくりしましたよ。恐らくこれはシロウの目線なのでしょう。このままみちひと一緒に居たい気持ちと(蟲側に)行ってはならないという自制をもや現象で表現したことには恐れ入りました。
目の錯覚かと思う程度の小さな演出にもこだわりがあって感服です。下手したら気付かないままスルーしそうな場面だ。

村人「上等な着物だよー」
流れ着いた着物をちょろまかそうとした第三者の容赦ないセリフが生死不明だったみちひを完全に亡き者に収めてるように思えました。そして一つの物語を終結させるセリフでもあると思うのです。ついでに村の経済状況を物語ってるし。

仮にみちひが無事で連れ帰ったところでナミはどうするつもりだろ。

『蟲師』製作は歩きの動画が苦手なのでしょうか。前回に続き、浜辺を歩くギンコと村人の動きが不自然でしたよ。前に進んでない。ひざが曲がってない(笑)。
posted by 桃鳥 at 00:16 | Comment(0) | TrackBack(23) | 蟲師【終】

2005年12月07日

蟲師 #07雨がたつ虹がくる

『詐欺師』第7話、感想いきます。
あ、間違えました。

『蟲師』第7話、感想いきます。
いや、あの惚れ薬は詐欺じゃ?
商売魂にプライドは?(笑)

誰もが幼少時代に一度は憧れたであろう虹追い。しかも追っかけるのが大人ときた。
走る走る、休む、寝る、売る、走る走る。
こんな童心に返るような行動が子ども対象ではなく、大の大人2人が主体となっているところに見ごたえを感じました。

旅人ギンコが同じく旅人の虹郎と同行することで、ギンコが旅をする目的を明かす主旨もあるんじゃないかな。ギンコの旅についての持論も窺えたし、興味あるものは追わずにはいられない蟲師ならではの性も確認できました。
本当に当てのない呑気な旅なんだな。

虹郎が虹蛇を探していることを知って即同行を表明したことにギンコらしさがあるのではないかと思う。
第5話「旅をする沼」では山中に異質な存在の少女を見かけても声をかけず立ち去ろうとした行為とは相反して、今回は蟲師としての地が現れてます。ここでもギンコのキャラクターが丁寧に描かれててキャラに深みが増します。

雨宿りで一緒になった男性の「甕(かめ)の中に死体」という発想もその時代を反映しているようで面白い。何気ない会話で時代背景を感じろということか。

ギンコにはめられそうになったお客さん、惚れ薬に興味なさそうに日照りの話なんかしておいて、実はのどから手が出るほど欲しかったんだ。誰に飲ますんだ?これがコメディーだと間違って隣家のおっさんが飲むんだけど(笑)。

それからギンコの煙草の持ち方に眼が釘付けだったりします。
口を掌で覆う持ち方は男性に多いです。考えに耽りながら煙草の手を頭に持っていったり、無意識に手振りをしたり、煙草を持つ手の動きの雄々しさに見惚れてついついセリフを聴き逃すのですよ。

以下、『ぱふ』1月号より。
「『蟲師』とは蟲の話でありながら、人の話が描かれているのでは・・・」と記載されてて「これ、まさに!」と思った。
原作者曰く、ギンコが洋服なのは里に馴染まないように考えてあるのだとか。
和服だとギンコの存在が世界に馴染んでしまうからNGらしいです。言われてみれば存在自体が異質ですからね。

12/8追記 流れ橋のモデルは京都府八幡市の木津川かな。本編でも「西に架かった」と言ってたし。
化野先生の名前の元ネタかどうかはわからないけど、京都に化野念仏寺というのもあるし。ここは無縁仏ばっかで少し寂しいかも。
(流れ橋参考:こことかここ
posted by 桃鳥 at 23:31 | Comment(0) | TrackBack(25) | 蟲師【終】

2005年12月01日

蟲師 #06露を吸う群れ

舞台が孤島なら話も閉鎖的。
膨大な時間と向きあえず諦めた人とそれを崇拝する人、それを憂う人が同居するこの島は、宗教と現代社会の縮図を見ているようでした。

個人的着眼点はあこやと父親の関係。
ギンコの治療により一旦は治ったあこやが、再びヒルガオの香りを吸ってしまったのは父親からの精神的な束縛から脱したかったからではなかろうかと思った。

ナギに島を離れるよう催促されてもあこやが便乗しなかったのは父と暮らした島が好きで、その故郷を捨てることすなわち父を捨てることに繋がったのではないかと思う。
決してできた娘ではないと思われても、「おまえのために採ってきた」と花を差し出してくれたときの父親の笑顔があこやの思考を拘束し、行動の自由を奪っているように見えた。

もっと産業が豊かで村人たちの心も豊かなら、または慌ただしくも世間を見通せる本土が舞台なら違った結果を招いていたのかも知れない。

後味の良し悪しを味わうこともなく、現状を繰り返すのみの何も残らない話でした。

【追記】あこやという名前は真珠が取れるアコヤ貝から付けられたんでしょうかね。
posted by 桃鳥 at 03:27 | Comment(0) | TrackBack(30) | 蟲師【終】

2005年11月23日

蟲師 #05旅をする沼

前回の第4話まではアニメ独特の技術を活かした作画、音響、演出、声などアニメとしての『蟲師』を賞賛し、今回は原作者漆原友紀女史の力量に感嘆する話でした。
「蟲」の概念の広さと引き出しの多さに彼女はストーリーテラーだと第5話目にして確信しました。小さくても形あるものを蟲とするのは想定内ですが、沼全体を蟲に設定して、沼を移動させるという発想に原作者の脳を覗いてみたいと思ったり。

沼が移動するというのは蜃気楼をヒントに、人が蟲化するのは尊厳死をヒントにそこから『蟲師』なりのアレンジと肉付けがなされたのかな、と思いながら観てました。

水害を鎮めるために生贄とされた少女は水蟲の成れの果てとなった沼に同化することを望む。
少女が晴れ着を大事そうに触る姿を見たギンコは彼女を救い出そうとする。
医者である化野は「彼女が望んだことなんだからいいじゃないか」と言う。
蟲師と医者の「人としての死生観」の差が如実に現れた場面ではないでしょうか。

ギンコ曰く、人が蟲の側へ行く(今回の場合、沼に同化すること)ということは普通に死ぬこととは違う。
蟲とは生と死の間にあるもの。人を指すもののようで物質を指すもの。死にながら生きているようなもの。少しずつ人の心は摩滅される。死にながら生きることで、死とは違う。

尊厳死とは少し違うけど、沼に同化することすなわち本来の人間としての生を捨てるのと同義なので、医者である化野先生は飽くまで現実的な人間の生を語っているのでしょう。
それに対し、人と蟲の関係性を熟知するギンコは医者のように現実的な人の生死では割り切れないんじゃないかと思った。

この話に医者が登場したことで蟲師という職業やギンコの思慮を別方面から見せてくれて、化野というキャラクターが上手く使い回されてる。

水蟲の亡骸で海に生き物が溢れ、漁業が栄えるというのはまさに蟲を介した食物連鎖。海で発見された少女を寒天状とか白玉状とか食べ物で表現するのはやめて(笑)。

他に細かい部分を突くと、ギンコが明らかに異質な少女を発見しても自らは声をかけずに素通りしかけてますが、あちら側から接してきて初めて話が動き出すという構成は、自分からは無闇に踏み込まないギンコの人物描写を大切にしてると思った。

で、噂の化野先生、原作未読の者としては楽しみにしていたのですが、いい感じにゆるい!
何だよー、ゆるゆる先生のくせに人徳ありかよー。
ギンコと化野先生は作品を反映したかのようなゆるゆる感。それに加えて洋服と和服の組み合わせもいい。ギンコが洋服なのは旅をする上で動きやすさを重視してるからかな。名前がカタカナなのは今だ不思議なのですが、色々考えた。実は「銀狐」なんじゃないの?銀色の狐のような頭髪だから、と強引に(頭髪、銀じゃないけど)。
それをあえてカタカナ表記にしてるとか?

ところで化野先生の片メガネ、遠目で見ると藤子不二雄漫画キャラのビックリ顔みたいで見るたびにウケるんですけど。

11/24追記 ギンコの漢字、amazonのコミックスレビューで見かけてしまいましたorz
本名捨てたのかなぁ・・・
posted by 桃鳥 at 01:40 | Comment(2) | TrackBack(35) | 蟲師【終】

2005年11月15日

蟲師 #04枕小路

30分で一時間分の濃厚さ。今回は回想で物語が構成されてて、視覚的伝達より心的伝達に重きを置かれている印象を受けました。

一話を通してジンとその周辺の栄枯衰退がしっかり描かれており、だからこそ最後の精神崩壊や自殺、「蟲と共存できなかった哀れな男」という素材が活きているんだと思います。自業自得が引き起こしたやるせない鬱結末だけど、妻のきぬが「あなたは悪くない」と言ってくれたことは唯一の救いかな。この言葉があるのと無いのとで受ける印象がかなり違うと思います。

この話は後味が悪いというよりは、ぼんやり尾を引く感じですかね。こうやってじんわり、でも能動的に考えさせられる作品はありがたい存在だなー。

技術的に素晴らしかったのは、ギンコが耳鳴りを聞いたときに画面全体が上下に揺れたあの場面。視聴者にもギンコが受けた同じ感覚をまるで体感アトラクションのように味わわせてくれるサービスっぷりに感嘆。映像の特徴をフル活用しているこの作品、次はどんな手法で体感させてくれるのか期待してしまいますよ。

OFFICIAL BOOKには蟲図鑑とかあるのかな。
posted by 桃鳥 at 23:52 | Comment(2) | TrackBack(14) | 蟲師【終】

2005年11月08日

蟲師 #03柔らかい角

このアニメは何のジャンルに入るのでしょうか。民族学?
とてもハイレベルなおとぎ話を見ているような感覚です。
登場人物が出張ってないのがいいですね。

ずっと緑を基調とした世界で進められていくと思い込んでましたが、違うのですね。
音を喰う蟲を村人から取り払う話から入り、静寂を喰う蟲を真火(マホ)から取り除く、という一連の流れが緻密で上手かったです。

「阿」の蟲が左巻きで「ウン(口に云)」の蟲が右巻きという概念を考えると、梵語「あうん(阿吽)」から命名されてるような気がするのですが。

広辞苑 第四版より
阿吽・阿ウン(口に云)
@最初と最後。密教では、「阿」を万物の根源、「吽」を一切が帰着する智徳とする。
A寺院山門の仁王や狛犬(こまいぬ)などの相。一は口を開き、他は口を閉じる。
B呼気と吸気

書き出したからといって、別段話が広がるわけではないですけど(爆)。

11/8追記
Aの場合、口を開いてるのが「阿」、口を閉じてるのが「吽」
蛇口や蓋の開閉は、開けるのが左ひねり、閉めるのが右ひねり
蟲は「阿」が左巻きで、「吽」が右巻き
何だかんだと通じるものがありますね。


耳からドロリのシーンは、またもや一般人の真火は驚いてました(笑)。
防寒具用の帽子を被った真火がチマチマしてて、とてつもなくかわいかったです。
ギンコはスナフキンみたいだなー。
posted by 桃鳥 at 00:26 | Comment(0) | TrackBack(13) | 蟲師【終】

2005年11月02日

蟲師 #02瞼の光

原作より評価が高いとは、アニメ化にしては珍しい現象ですね。アニメ化ってたいてい原作ファンから敬遠されるし。

作画が見事。特に背景画はさすがGREEN。緑色のバリエーションが多用かつ雑然と描かれてて原始的なイメージさえ湧きました。
でも時代背景がわかりません。いつの設定ですか?原作知らないと、わからないこと多いです。着物だったり、洋服だったり。

良質さを売るならゴールデンに匹敵すると思うけど、ゴールデンの喧騒の中での視聴は勿体ないです。視聴者層を絞ってでもあえて深夜のさらに深夜に置いたのは好感触。といいつつも実は作品の掴み所がいまいちわからなかったり・・・。

予備知識なしで観たら、軽くホラーでした(笑)。リアルタイムの深夜に観たらさらに心地いい具合の恐怖感が味わえるかも。スイの眼からドロドロが大量に出てきて、引き戻ったけどあれは体液?

スイの眼からドロドロ飛び出て、ギンコが蟲を退治して、左眼(義眼)を取り出して・・・
ギンコ「君さっきから驚きすぎ」
いやいや、ビキじゃなくても驚くっちゅーねん。
私、義眼だなんて知らないからビビッたって!
この人、テンネン?
posted by 桃鳥 at 23:46 | Comment(2) | TrackBack(11) | 蟲師【終】

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